ダラ奥こしあんの家族大好き!

未就学児×2と姑とのギリギリな日々を綴ります。松江塾ファン。

「こんな事も分からないのか」の代償

小学校入学の時、親から何か聞かされただろうか?

私にはその経験が無く、何故学校で勉強をさせられるのかが理解出来なかった。

勉強が何物なのか分からないので、ノートを取る意味も理解できなかった。漠然と学校に通いだし、どうしてここに居るのか分からないけど、いないと親が困るだろうからいる、という消極的な姿勢で小学校低学年を過ごしていたので、通知表に書かれた教師からの評価は散々だった。

これを見た私の両親はマズいと思ったのだろう。急に「勉強をしろ」と言われるようになった。しかし、私は勉強が何なのかわからない。

やれと言われた事が出来ないので更に親からの当たりは強くなり、とうとう手が出るようになった。

間違えば後頭部を叩かれ、正答でも「できて当たり前だろ」と言われる。分からない事を素直に「分からない」と伝えると「こんな事も分からないのか」と怒鳴られて机を叩かれる。

これらは主に父から受けた教育である。

父ではどうにも話が通じない上に暴力を振るわれるので、母に「分からない」と助け舟を求めた事もあったが、母は「お母さんも分からないから、お父さんに訊きなさい」としか言わなかった。

この人は私が近所の同級生に囲まれて石を投げられた時も「やり返して来い」としか言わなかったのでアテにした私が馬鹿だった、と思ったのが小学校2年生の頃だった。

転機

3年生の時、家族で旅行中に立ち寄った本屋で父が新聞を買っている時だった。

父が「オレの小さい頃は新聞にもルビが振ってあったけど、いつのまにか無くなった。その頃からお前みたいな馬鹿が増えた気がする」と、私の方も見ずに言い放った言葉が私にとっての転機になった。

世界中の物語

ルビの振ってある本なら学校の図書館にあったので、休み時間に図書室で本を読むようになった。

初めて手にしたのは世界中の童話が集められている全集だった。

最初は文字を追うだけで頭の中には物語が入ってこなかった。文字が意味のある語の連なりになって、自分の中に入り込んで来るようになったのは数ヶ月経ってからだった。

この頃にはルビ無しで漢字が読めるようになり、図書館に置いてある辞書を引いて言葉の意味を調べられるようになった。

そして、物語にのめり込む事で、物語の登場人物たちに対して愛憎入り混じる視点で、話の行方を眺めるようになった。彼ら・彼女たちは旅路の果てに必ず戻る場所があるが、私は旅に出られるのなら家には帰りたくないと思っていたので、行きっぱなしの物語がないか探すようになった。

だが、なかなか見つからない。

この辺りから、学校での成績が平均あたりまで伸びた。親からは「勉強しろ」と言われるが、以前ほどしつこく説教されたり殴られる事も少なくなって来たので、私は「勉強とは、本を読む事なのだ」と思うようになった。

親の気まぐれで巻き上げられる小遣いを必死に隠して買った文庫本を学校に持って行くようになると、今度は中学受験組から目を付けられるようになり、やはり勉強とは本や文章を読む事なのだと確信を深める事になった。

中学受験

その頃の私にはもう、物語が必要無くなっていた。文化人と呼ばれる作者の随筆を読むようになっていた。

急激に成績が伸びた私は、あまり賢そうに見えない中学受験組に一泡吹かせてやろうと受験を決めた。馬鹿でも受かるなら私でも受かる。地元の公立は椅子や机が降ってくる荒れた学校だったので行きたくなかったし、どこか別の場所にいけるなら何処でも良かった。もちろん志望校は無かったので、親が決めた学校を受けた。

当日

校門の前には花道が出来上がっていた。塾関係者と思しき男女が左右に分かれて立っている。そこを塾生が歩くと左右から声援がかかる、という馬鹿の極みのような花道だった。

私は塾に通っていないので、誰からも声が掛からない。あの子誰?的な戸惑いの空気が流れていたと思う。左右にいる大人がこれだけの為に来るのだとしたら、一体塾とは何を教えている場所なのだろうと思った。

補欠合格

結果は補欠合格だった。欠員が出れば合格。私は受験当日にすれ違った教師に「ごきげんよう」と挨拶されて「これはムリだ」と思っていたので、欠員が出ませんようにと毎日祈っていた。まだ底辺の方がマシ。

でも神様っているもんで、私は無事公立に通える事になった。

卒業間近になって、中学受験組の1人に「あなたが落ちて良かった」と言われた。私の受けた学校よりも偏差値の低い学校をその子は落ちていた。喉元まで「補欠合格だったんだよ」と言葉が出かかっていたのだが、何とか飲み込んで「そう。私も、学校を選んだ親も、やっぱり馬鹿だったみたいね」と答えるしかなかった。

モラトリアム

私は今でも勉強という言葉に良いイメージが無い。むしろ、勉強にまつわる周辺のイメージが途轍もなく悪い。

小学生の頃の私にとって勉強とは、学校で求められる分野の知識の総量を争うもので、足りない分を補うには塾に通う必要があり、また、その結果によって自分の足元を揺るがす事になりかねない、扱い方を間違えると危険なもの、という認識であった。

中学・高校で恩師達に巡り会えた事によって、勉強に対する認識は変わったのだが、いまだに小学生の頃のようなヒリヒリした危機感を感じる時がある。

子供達に勉強を教えていると、30年近く前の、もう既に葬り去ったと思っていたあの時の思い出が私を引き戻しにくるのだ。

私が対峙していたものと息子や娘達の状況は全くの別物であるのに、ふとした瞬間に、あの時、親からこんな一言があったら…とか、今更どうしようもない事に対しての恨み辛みが湧き上がってくる。

こんな物を抱えながら子供達と向き合うなんて無理だと思った私は身近にいた義母に、子供の頃の話をしたのが3月の上旬だっただろうか。

義母からは「あなたのお父さんもお母さんも、きっと必死だったんだよ。どうして良いのか分からなかったのかもしれないね。だけど、こうして立派に育ててくれたじゃないの。今度から私があなたの事を一杯愛してあげるから、もう、昔の事は言わないように。」と言われた。

そう義母に言われて、私は恥ずかしさと同時に胸を刺すような甘い喜びを感じた。こんな歳になっても愛に飢えているどうしようもない自分を、他人である義母に対して露呈してしまった事に恥ずかしさをおぼえつつ、そんな私を受け入れようとしてくれている義母に対して尊敬と申し訳なさと感謝の気持ちとが混ざり合った感情が湧き上がり、こうして私の小学校時代はやっと幕を閉じてくれたのだった。

 

たかが勉強ではあるが、こうして人1人の人生の大半を左右するだけの影響力がある事を考えると、子供達には勉強に左右されずに済むよう、勉強ぐらい何とかなるような力を付けさせたいと思う。

お父ちゃんと子供達のドライブ

今日は夫が車で子供達を幼稚園まで送ってくれたので久々に義母とゆっくり茶を啜りながら朝ドラを観たのだが、余韻に浸る間も無く夫が興奮気味で戻ってきたので何事かと思っていると、息子が車の中で描いた落書きを見せてくれた。

そこにはフニャっとした人の顔が二つと息子と夫の名前が書いてあった。

夫によると、息子は「おとうちゃん」と書きたかったのに「お」の字が書けず、妥協して書いたのが夫の名前だったそうだ。

やはりお父ちゃん

書き取り練習が嫌いなあの息子が、自発的に文字を書いた事にとても驚くと共に、やはり夫には敵わないと思わされた。

詳しく聞いてないので息子にどうやって文字を書かせたのかはわからない。しかし、数日前に「ここ最近で書ける文字が増えたせいか、なんか書くことに興味がありそう」と夫が言っていたので、ドライブの最中、うまく誘導してくれたのかもしれない。

夫と子供達は時々こんなミラクルを起こす。

子煩悩な夫は今月、県内外への出張が重なって子供達との時間があまりなかった。今日も明日も家にいられる時間はない。そんな中で子供の興味を引き出すような行動を取れる夫には感謝しかない。

息子の努力の形

息子と夫の名前がヘタクソな字で並んでいるのを見てちょっと笑ってしまったのだが、義母が「こんな急に字が書けるようになって、息子は凄いよ」と言ったのを聞いて、息子は3月から平仮名の読み方と書き方の練習を始めたのを思い出した。

始める前から「やだな〜…」とため息をつき、手を取って書き方を教えようとすれば「触んないで!!」とガンギレ。自分の書く線が思った通りの形にならないと拗ねて逃走した息子。

嫌々ながら、よく毎日続けてくれたなと思う。

そして、その結果が「息子と夫の名前」なのだと思うと、息子の夫に対する気持ちの表現がとても健気だなと感じる。

息子にはこの優しい気持ちを変わらず持ち続けて大きくなって欲しいと思う。

息子とふらいぱんじいさん

小1の毎日音読に出てくる「ふらいぱんじいさん」に息子が夢中になってしまった。

息子が「ふらいぱんじいさん」の今までのプリントを全て通しで音読したいと言い出したので「結構長いよ?本当に読むの?」と確認したら「大丈夫だよ」と言っていたので音読させたのだが、最初から最後まで集中を切らさず10分ぐらいで「ふらいぱんじいさん」を読み上げる事ができた。

終わってから息子は「このあと、どうなったの?」としきりに訊いてくるようになったので、「ハワイあたりに行ってサーフィンしてるんじゃないかなぁ」とか適当に答えていたのだが、息子に平べったい目で「母ちゃんの話じゃないの!ふらいぱんじいさんのお話なの!!」(訳:お前のホラ話じゃなくて続きが知りたい)と怒らたので、寝る前にAmazonでポチッておいたのが昨日の事。

届きましたよ…

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👆色々あるのでどれくらい顔を隠すか迷ったのだが、この息子の喜び具合を見て欲しい。ねるねるねるねのCMのおばあちゃんばりの笑顔である。

ふらいぱんじいさん。絵本かと思ったら、B6ぐらいの大きさのしっかりした本で、息子が「90ページもある!」と大興奮だった。

届いてすぐに読まされ、2回目は自分で読む!と本を膝の上に乗せてじわじわと読み進めていたのだが、30分後に様子を見に行ったら布団に足を突っ込んで眠っていた。

文字ってすぐには読めない

息子は書き取り練習も嫌いなら絵本の文字を読む事もあまり好きではない。数字だったら良いらしいのだが、文字となると何かが違うようなのだ。

ただ、その気持ちは分からんでもない。

私も平仮名だけの文章を読むのが苦手だった。文字を読み上げるので一杯一杯で、語彙量も少ないのでどこが単語の切れ目なのか判断できず、注意されるたびに理不尽な気持ちになったのを覚えている。

「ふらいぱんじいさん」は助詞の前などで隙間を入れる工夫がされているので、息子も読み進めやすいようだった。

息子の気変わり

さて「ふらいぱんじいさん」を手に入れた息子だが、急に明日の幼稚園(春期保育)を休みたいと言い出した。

息子曰く「お家で遊ぶと楽しいし、お勉強したいから」との事だった。あれだけ勉強を嫌がっていた息子が自発的にお勉強をしたいと言い出すとは。

「どうして?」とか訊くのも藪蛇だなと思ったので特に突っ込まずにいるが、ふらいぱんじいさんのお陰、いや、ふらいぱんじいさんをチョイスした松江塾のお陰だろう。

明日、関東一帯で雪が降るかもしれない…。

 

娘の「できたー!」と息子の「上手じゃない」

今朝の事。

珍しく皆が5時過ぎに起床した。朝食を済ますとやる事が無くなったので、暇を持て余した娘がノートを持ってきて自分の名前を書く練習を始めた。

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娘は4月から年中さんになる。今月から義母に見守られながら名前を書く練習をしている。

ちなみに「名前の書き取りをしないと動画は見られない」というルールなので、娘は動画が見たくなったら、いそいそと名前の書き取りを始めるようになった。

娘の書き取りは見開き2ページを使って片側に名前、もう一方には娘の好きな絵を書いてもらっている。

それを義母が筆の運びなどをチェックして赤鉛筆で丸をして、ノートの端っこにご褒美のシールを貼ってやるのが流れになっている。

義母は書道の師範の資格を取っているので、字を見ただけで書き順がどうだったか分かるらしい。

形が歪でも書き順が合っていれば大きな丸、書き順があべこべでも形が整っていれば小さな丸、どんな形であれノートのマスを全て埋めていたら花丸など、義母はバツを付けない工夫で娘に丸を与え続けたので、ここのところほぼ毎日、娘は名前の書き取りを続けている。

書字の正解は形が整っている事なのか

今日はたまたま義母がトイレに行ったタイミングで娘が書き取りを終わらせたので、私がノートを確認したのだが、いくつか形がおかしい字があったので書き直しをさせた。

数分後、義母がトイレから戻って来たタイミングで娘が「できたー!」とノートを持って来たので3人で文字を確認したのだが、娘が書き直した字は前よりももっと形が歪んでいた。

もう一度直すように言おうかと思っていると、義母は赤鉛筆でサッと丸付けをして「きちんと書き直して頑張ったね」と娘を褒めていた。

娘も嬉しそうに「おばあちゃん大好き!」と言って椅子を降りると一目散にスマホへと向かって行った。

義母に本当にあれで良かったのか訊いてみると「書き順は正しいから大丈夫。筆の運びが正しければ次第にバランスが取れて字の形は整う」との事だった。

私が見ているところと義母の視点が全然違う事に驚かされるとともに、気になったのが息子の事だった。

正解でも「上手じゃない」

息子は答えを何度も書き直す癖がある。自分の字に自信がないせいか、少しでも気に入らないところがあれば、答えが正しくても消してしまう。

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👆これは3回消したところ

今朝も同じ事をしていたので、なんで上手じゃないと思うのか息子に訊いてみたのだが、息子は「汚いから」としか言わなかった。

何が汚いのか分からないので「何が?」と訊くと、むすっとした顔で「字!」と言ったので「正解でも字が上手じゃなかったら消したくなるの?」と訊くとコクっと頷いた。

やる事はただ一つだが…

字が上手なら消さない、という事なら字を練習するしかない。しかし、息子は書き取り練習が嫌いだ。お手本を見ながら2〜3文字書くと、自分で書いた字の下手さに絶望するのか「もうやらない!!」とキレる事が多く、最近は薄い線をなぞり書きするところでやめてしまう。

書き取り練習に対するハードルを下げるか、この「嫌い」を上回るメリットが提示できなければ息子は書き取り練習をやらないだろう。しかし、息子を納得させる話ができる気がしないし、息子の抱えている文字を書く事に対する困難さ(不器用)の由来が特定できない。

そこでおぷちゃ

「小1」とか「新小1」で検索してヒットした投稿を片っ端から読み流して見付けた松江塾ママブロガーのあらいくまたんさんが紹介していた記事の中から、こちらで紹介されていた「ちびむす」を利用してみる事に。

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araikumatan.hatenablog.com

👆うちの息子とは違う方向でこだわりの強そうな鉄くんとがっぷり四つで組み合ったあらいくまたんさん渾身の記事は必見。

「ウチと外で鉄くんの態度が全然違う」というくだりで首がもげそうな程ヘドバンした後、我が家でもあった理不尽な息子の仕打ちを思い出して胸が苦しくなった。いや〜本当、あの頃には戻りたくない…。

息子の字が下手という話は結構書いているが、「ちびむす」の幼児向けの教材を眺めながら、基本になる線の引き方や払い方、図形の線をなぞるということをきちんとやっていなかった事に今更気づき、ここからやり直す事にした。

これなら息子が嫌がる文字の書き取り練習の手前の段階なので大丈夫だろう…と思う。

もちろん、文字の書き取り練習も同時進行で行うつもりだ。そうしないと授業に追いつけない。

娘には出来がどうであれ「できたー!」で許してやれる余裕があるが、私の考え不足で息子には準備をさせる時間が全くない状態で松江塾に通わせてしまっている。

本当に申し訳ないなという気持ちと、初見が苦手な息子には今のうちに先取りできる環境に身を置く事で勉強というものに慣れて欲しいという別々の思考がぶつかり合っている。それにあわよくば、息子には新小1の内容に追いついた状態で来年の入学を迎えて欲しいとも思っている。

ドロドロにくんずほぐれつしている私のエゴに付き合わされる事になってしまった息子を始め家族には心的負担という部分で迷惑をかけているが、まだまだ始まったばかりだ。もう暫く色々とあるだろうが、できる限りの範囲で手を尽くすつもりだ。

押しの弱い息子

人に注目されると文字通り動けなくなる息子。

オンラインで受講している授業も、最初は「息子君、恥ずかしいから画面に映りたくない」と言って画面をOFFにしようとしていたくらいの引っ込み思案&内弁慶の併発型である(面倒臭い)。

見栄か羞恥か

昨日の授業、息子は冒頭のテストで「もう少し時間が欲しい人は?」の問いかけに「はい!」と声を上げる事ができなかった。

3問ほど手が付いていない問題があったので「時間が欲しいって言ったら?」と勧めたのだが、息子は画面の向こうで活発に飛び交う生徒たちの声に圧倒されたのか、自分の発言を差し込むタイミングも計り損ねまごまごとしているうちにテストの時間が打ち切られてしまった。

授業中、イマイチ集中しきれない様子で「息子君、ビリなんだよね。できないんだよね…。『はい』って言えばよかった…」と呟いていたのを見て、息子に「大きい声を出して、出来ても出来てなくても『できました!!』って叫びなさい」と無茶な指示を出した。

本当はダメな行為だと思う。だけど、息子は声を上げたいのに行儀良く順番待ちをしている。そんな事ではいつまで経っても授業に参加できない。言いたい事があればその場で言えばいいし、誰かに伝えたいのならそこへ届くように声を張ればいいのだ。

そこから私は息子の授業を一緒に受ける事にした。息子が問題を解けば「はよ『先生、できましたー!』って叫べ」と発言を促し、問題が解けていなくても「声を出す練習だと思って『できましたー!』って言うとき」と声を出す事を強制した。

最初、息子は恥ずかしそうな感じで「できました」と平坦な声で画面に喋りかけていたのだが、先生方が他の子の声には返事を返しているのに自分の声には反応がないのに気づいたらしく、次第にボリュームを上げるようになっていった。

くみ先生の授業中、息子の「できましたー!!」は何回程だっただろうか。結構頑張って叫んでいたが、2問目の最後の方でやっと先生から「はい(ニッコリ)♪」とお返事を返していただいた時、息子は満面の笑みでガッツポーズをし、私や同室にいた家族にハイタッチをしてまわった。

そこから息子の授業に対する集中具合が変わった。テスト中、部屋を見回したり、鉛筆を転がしたり、他に注意を散らしていた息子が、画面をじーっと見つめるようになり、水分摂取を勧められればお茶を飲み、くみ先生の体操にも必死で追いつこうと体を動かしていた。きちんと先生の言葉に反応して行動を起こしていたのだ。

授業の最後、お別れの時には部屋中に響く声で「バイバ〜イ!!!」と手を振っていた息子。通話を切ってから、同室にいた家族が皆「息子君、頑張ったね!!!」と息子を褒めてまわった。特に義母から「息子君、きちんと授業を受けられてエラかったよ」と褒められた時、息子は照れながら「分かってるよ」と俯いてニタニタしていた。

昨日まで息子は文字を書けない事や授業の内容が理解しきれていない事に不安を抱いている様子があったし、今回の授業の内容も、明日から毎日復習しないと理解ができない状態だと思う。しかし、受け身にならず能動的に授業と向き合うことを今回学んでくれたのではないかと思う。

ひとまず、オンラインで授業を受ける事のハードルを一つは超えてくれたのではないかと思う。あとは、普段の勉強でどれだけ私が息子を褒めてやれるかだと思う。

結局、親だな…。

【速報】初めての花丸(1枚だけ)

今日の小1のペナテスト、3回目の不合格ではあったが1枚だけ花丸を貰えた。

息子に見せてやると大喜びだった。ひとしきり飛び跳ねた後、しんみりと「息子君、初めてほめてもらった。やった…!」と小声で喜びを噛み締めていた。

息子にとって初めての花丸

普段の勉強で親が付ける花丸に滲む妥協のにおいを感じている素ぶりはあったので、ペナテストの花丸は格別だっただろう。

ペナテスト中は息子に助けを求められても、全て無視していたので心苦しかったが、息子なりに頑張って解いたテストで初めて花丸が付いたのを見て、今日まで毎日頑張ってきて良かったなぁ…という安堵が心の底から湧き上がってきた。

だが、不合格である

積み上げてきた物が圧倒的に少ない息子に、これからどうすれば周りに追いつけるのか、話して聞かせてやらねばならない。

授業中にポツっと「息子君、ビリなんだよね。出来ないんだよね…」と息子が呟いていたからだ。

そんな事は無い。息子はできる奴だ。

私が息子に対してそう思って貰いたいからこそ、引き続き手綱を緩めず、毎日を過ごしていきたい。

文具の話

息子の為に…と言いつつ、殆ど自分の精神衛生の為にやっていると言っても過言ではない塾のお勉強。

少しでも負担を軽くしてやろうと思って最近購入したのがこちら👇

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息子、まっしぐら

猫鉛筆、猫ノート、赤鉛筆、消しゴムである。

猫ちゃんが好きな息子。鉛筆の柄やノートの表紙の猫に大興奮で「息子君、猫ちゃん大好きなんだよ!!!」と叫んでいた。

今まで使っていた赤鉛筆は100均で買った3本セットの物。簡単に芯が折れるのがストレスだったので、普通の値段のものを購入。

息子が一番感動していたのは消しゴムだった。

今までは「まとまる君」のミニサイズを使っていたのだが、息子の力加減ではうまく消せないし、消してる最中にボロボロと崩れるので、それが原因でテストや授業にイマイチ集中できてないのが気になっていた。

今回買ったサクラクレパスの「小学生 学習字消し」は、軽い力で濃いめの鉛筆の字が消せるので、手先の力のコントロールがままならない息子にはうってつけだった。

「軽い力で消えるよ?!この消しゴム滑らかだね!」と嬉しそうに文字を消していたので、もっと早く気付いてあげれば良かった。

猫ノートは、三語短文で見開き2ページを使うので、1ヶ月に1冊は消費しそうな気がして、取り敢えず10冊まとめ買い。

猫鉛筆はというと、今まで◯文式の太い三角鉛筆を使用していたのだが、小さいマス目に答えを書く時に四苦八苦していたので購入。

猫ちゃんが可愛くてどうしょうもない息子は、鉛筆が転がって落ちただけで「あ!!猫ちゃん!!!痛かったよね?!ごめんねぇ〜!!」と鉛筆に謝っていた。

これで少しでも勉強する時間が楽しくなるなら大した出費ではないが、性根がケチなもので「大事に使ってくれよな…!」という気持ちも滲み出てしまうが、渡してしまった以上あとは息子次第。

普段の勉強を通して、物を大事に扱う事も覚えさせていきたいものである。