ダラ奥こしあんの家族大好き!

未就学児×2と姑とのギリギリな日々を綴ります。松江塾ファン。

敗戦の日に

子供を産んでから、戦争のことはどうやって語り継げば良いのか分からず、毎年この時期になるとNHKの特集を見るようにしている。

今年の特集はサイパンの民間人、横浜の工場で働いていた女学生、回天で特攻を命じられた学生の手記を中心に、その当時の実情を伝える内容だったのだが、今まで見聞きして知っている事が更に深さを増して自分自身に迫ってくるような内容だった為、一旦、感情や情報を整理するために、ここに吐き出しておこうと思う。

最初の"戦争"

私にとって身に迫るような戦争体験を見せつけられたのはNHK制作のドラマ「太陽の子」だった。

父から、このドラマの放映時間は必ず家族全員で鑑賞する事を強制された。まだ小学生だった私は放映時間中、息ができなくなるほどの苦しさを感じ、また父や母の発する空気の重さに逃げ出したくなるような思いだった。

父にとっては自分と同世代の人達が、抗うことのできない時代の波に飲まれて、否が応でも壮絶な体験をせざるを得なかった状況を、自分の経験も思い出しながら、更に追体験していたのかもしれない。

父は戦前生まれで、私とは50歳近く歳が離れている。

「太陽の子」を観た後は必ず父の戦時中の体験を聞かされ、その後、如何に私たち子供の世代が贅沢である事を当たり前として生活しているのかを責めるような事を言われ、更に軟弱である事をなじられる。

「太陽の子」には罪はないが、私にとってはただただ自分の覚えがない事象について父から怨差をぶつけられる苦痛の時間というイメージが染み付いてしまい、今でも再放送を観る事ができないドラマである。

だが、今日のNHKの特集を観て、機会があればもう一度向き合ってみようか、と思い始めている。

地元の傷跡

私の地元には大きな神社と参道があり、参道の入り口に大きな石灯籠があるのだが、石灯籠の足元には何度清掃しても消えない燃えた跡が残っている。

小学生の頃、社会の授業で地元の歴史について勉強する時間があったのだが、戦時中に爆撃があり、その石灯籠に残った燃え跡はその時にできたものだと習った。

たまに実家へ帰ると、他所から来た人が石灯籠に体を預けたり、座ったりしているのを見るが、そこに人の苦しんだ跡が残っているのだと知っている身としては、複雑な気持ちになる。

また、実家のある場所は軍関係施設の跡地近くでもあり、近くに点在する施設の跡地を利用する形で学校が建っていたりするので、地元のお年寄りから「校庭を掘ると施設で利用していた道具が出てくる」とか、そういった話を聞かされた事もあった。

学生時代は「学校の七不思議」ぐらいの感覚で怖がっていたが、今は罰当たりな事をしていたな、と思う。

引き継がれる苦しみの時代

私の従兄弟には原爆2世がいる。幼少期は病気に悩まされたが、思春期を過ぎると身体も強くなり、幼い頃に病弱だったのが信じられないほどだったのだが、油が乗り切った30代で膠原病になった。

幼少期の病気も、膠原病も原因はよく分からなかった。

従兄弟の父は爆心地から離れた場所で被曝し、幸運なことに怪我もせずに済んだそうなのだが「自分自身に影響があまり出てなくても、子供に出るとは…」と苦々しく言っていたのを覚えている。

膠原病だった従兄弟は、今は元気に過ごしている。

周囲で聞く"戦争"

私が小学生の頃亡くなった父方の伯父は優しい人だったが、生涯結婚することは無かった。父方の親戚は皆、綺麗な顔立ちをしているが、若い頃の伯父は俳優の加藤剛(大岡越前)を更にバタ臭くしたような美貌の持ち主だったので、父に何故伯父は結婚しなかったのか訊いた事がある。

伯父は戦時中、海軍に動員されたが栄養失調で夜盲症になり家に戻され、そうこうしているうちに学生時代の同級生が訓練中に攻撃に遭い9割が亡くなってしまったそうだ。

戦後の伯父は、多くを語らず、女性とも付き合わず、ただ淡々とやるべき事をこなし家族を助けるような、そんな生活を送っていたという。

父から「死んでしまった学生時代の友人達に申し訳なくて結婚できないって、酒が入っていたいた時にポロッと言っていた」と聞いた。

きっと、伯父のように自分の生き方を制限してしまった人がこの時代いっぱいいたのだろうと思う。自分の幸せを捨てて、他人の幸せを願い続ける伯父ような、優しいけど、優しさを自分に向けられなくなってしまった人が。

他にも

新聞記者をしていた父方の祖父が開戦と同時に疎開の判断をした話、父方の身内に今で言う工作員をしていた人がいて、幼い父に油紙に包まれた拳銃を見せて中国から引き上げてきた時のエピソードを語ってくれた事とか、戦時中に食べるものがなくて、道の轍の真ん中で生き残っている得体の知れない草を抜いて味噌汁にした話、父の妹(当時は1〜2歳)用に農家から貰ってきた山羊のお乳を全部飲んでしまった話など、他にもいろいろあるが、戦時中を生き延びた父の話や、TVで観る戦争にまつわる話など、観たり聞いたりしていた話が、この歳になってやっと現実味を帯びてきたような感覚になってきた。

こんなにも私の身近には戦争の痕跡があり、その時代を生きた人によって命が繋がれ、その時代に死んでいった人たちによってこの戦争の惨さを学ばされている。

父は高齢なので、子供達が物心つく頃には亡くなっているだろう。

そうなったら、この戦争の話は誰も出来なくなってしまう。忘れずにいるために、こうして残しておこうと思う。